女子教育 <女子・教育・大学>

女子を対象とする教育をいうが、近代国家においては、家庭教育や社会教育よりも、学校教育における男女の機会均等がその中心的問題となり、女性の社会的地位の向上と関連して考えられている。

洋の東西を問わず、古来女子の教育は男子と区別して考えられ、また男子の教育より軽視されるのを通例とした。

わが国でも古代すでに女子は大学や国学から排除され、近世に至っても江戸幕府の学問所や藩校など公的教育機関とは無縁であった。

貴族政治、武家政治の時代を通じて、女子の教養は主として家庭教育や見習奉公などによっており、その内容は書道、音楽、和歌や裁縫などの技芸を中心とし、結婚生活への準備がその主目的であった。

中世以来、武家の子女には勇武、貞淑などの婦徳が強調されたが、近世になると、従来からあった仏教の女性蔑視観に加えて、体制教学としての儒教が男尊女卑思想を徹底させ、家や夫への隷従を強調する女子教訓書が広く流布した。

一方、近世中期以後になると、諸産業の発展に支えられて、庶民の自然発生的教育機関たる寺子屋に通う女子が増え、裁縫を教える「お針屋」も普及して、『女商売往来』など女子を対象とする初等教科書も多数出版された。

幕末には吉田松陰など、女学校設置の必要性を説く者もあった。

明治政府は1872年近代公教育体制の創始にあたって、四民平等の原則のもとに男女平等の義務教育の実施を宣言した。

小学校の女子就学率は日清戦争ごろまでは男子の半分内外に低迷していたが、日露戦争にかけての10年間に両者の差は急速に縮まり、義務年限が6年に延長された1907年には男子98.5%に対し女子96、1%に達していた。
update:2010年02月24日